高等教育というからには、少なくとも文章くらいは書けて当然ではないか。でも、文章を書くのだけは駄目という大卒や院卒がいるが、そういう時には「本当に大卒か?院卒か?」と疑いたくなる。
欧米の大学では、ノートの取り方からレポートの書き方まで、文章を書くことを最初にしっかり教えると聞く。しかし、日本の大学に関する限り、書き方を教えるのを聞いたことがほとんどない。個々の知識を教えるよりも、読める、内容が伝わる文章を書けるようになる方が桁外れに重要というか、それが無くて知識を教えて何の役に立つのかと思う。
それなりの筋の通ったレポートが書けなければ本来は単位は与えられないし、筋道立てて書かないと論文ではないと思うのだが、違うだろうか。要するに、大学では、文章を書くことは沢山あるはずだ。
大学は、単に知識を丸暗記するところではなく、知識修得方法をマスターし、知識や思考を伝える方法を身につけるところである。それは、個々の専門知識を身につける以前の、高等教育なら必須の能力である。
現実の仕事では、メモに始まり、様々なレポート、提案など作文作業だらけだ。技術職だって、設計、開発だけしていれば済むなどありえない。誰にでもできる単純作業でもない限り、仕事で文章を書くことは多い。
インターネットで重要なことは情報発信だ。そして、情報発信の中心は文章である。デザイン、画像、音なども場合によっては重要な役割を果たすが、それでも文章は常に重要な役割を担っている。
いくら走りまわって雄弁に訴えても、伝えられる範囲は限られる。内容は直ぐに忘れ去られてしまう。一旦文章にしてしまえば、時間、空間を超えることができ、多数の人に、後世の人に知られる可能性が出てくる。
思考を本気で鍛えるなら、文章を書くに勝るものはない。文章も書けない卒業生を社会に送り出すところには、大学と名乗って欲しくない。
要求が高過ぎるだろうか。日本の大学の実情から言うと異常に高い要求かも知れないが、世界では普通の考えではないだろうか。