私が社会人としてスタートし、電算機事業部に配属された頃は IBM 360 の全盛時であり、汎用 OS として世界初のマルチプロブラミングを取り入れた IBM 370 発表の 2 〜 3 年前でした。今もそう変わりはないですが、当時のアメリカのコンピュータ技術は 1 世紀前方を進んでる状態で、とにかく商品価値のある国産コンピュータと国産汎用 OS を作り出すことが日本の夢でした。私は、 GE 社 ( ゼネラルエリクトリック社、後にコンピュータから撤退 ) より、技術指導を受けながら、アセンブラによる OS 作りに 3 年近く没頭しました。コンピュータ自身を理解し、制御が一から学習できたこの時の OS 開発の経験がその後のシステム作りに大きく役立つことになります。
その後、会社の大型コンピュータからの撤退の方針もあり、私は小型コンピュータの分野を歩むことになりました。マイコン、ミニコン、オフコンなどがその対象で、当時は OS もなく、主メモリも 4 KB 〜 32 KB と限られていました。
従って、システム開発にあたっては、今思い出しても次のことは当たり前でした。
ソフトウェアの価値も低い時代でしたので特異な技能の特殊な集団と見られていたように思います。システム開発は知識集約と労働集約が適度にミックスしており楽しいものでした。このような状況下から現在にいたるまで、30 システム ( 平均 1 年で 1 システム ) 近くを開発し、国内外約 200 ユーザーに納入しました。
コンピュータシステムは芸術品でも玩具でもなく、社会、企業の中で実用的に運用されるものです。私は、システムに対して次の捕らえ方をしています。
自分の人生の成果でもある 30 システムは自分なりに汗と知恵の結晶であり誇りとともに大きな愛着を感じています。
こんな具合です。
当然システムには必ず寿命がきます。環境の変化、技術の進歩とともに終焉を迎えます。このシステムの終焉時にもいろいろシステムのドラマが展開します。フィリピンのマニラ空港に20数年前に納入した 「航空管制用ミニコンピュータシステム」は職員が毎日交代でコンソール、ディスプレイ、リムーバブルディスク、 CPU 筐体を拭き掃除していました。本当に毎日です。またコンピュータルームは塵ひとつ無く筐体の前面テーブルには花がとぎれませんでした。それに応えるのごとく、このシステムは驚異的といえる 15 年間も安定して稼動しつづけました。
15 年後のシステム解体時には各種部品 / パーツを多くのスタッフが記念に持ち帰りました。
また、ある新聞社に納入した 「新聞原稿集配信システム」は 7 年間の稼動後、最新鋭のコンピュータシステムにリプレースされその寿命を終えるとき開発者、利用者、関係者が一同に会してコンピュータ室の中で 「システムお別れ会」を開催しました。そして、口々に 「いいシステムだった」「ごくろうさん」などシステムに言葉をかけました。
これらの出来事はシステムの送り手として開発者冥利に尽きます。開発サイドはシステムに誇りを持って送り出し、利用者はシステムに思いやりを持って接する。システムが成功しないはずはありません。
タイムインターメディアはシステムを 「生きもの」ととらえます。 「生きもの」である以上、企画、開発に相当するシステムの誕生 ( インキューベーション ) は出発点にすぎません。その後システムをどうプロデュースしていくかも重要になります。システムをケアし、世の中の変化、価値観にに合わせてシステムを変化・成長させる取り組みを永続的に行うことがインターネット関係の不透明なこれからのシステムに求められる必須条件です。
誕生の IT インキュベーションと生き抜くためのプロデュースが 「システムライフソリューション」です。タイムインターメディアはオープンソースをベースとしたインフラ、セキュリティ、プログラミング、データベース、リスク●●のあらゆる IT 分野の専門化集団で、お客様とのパートナー関連の中でシステムライフソリューションを実施していくための会社です。
これからのシステムは急激な変化の中で成果が見えにくい出しにくい傾向にあります。不安な中でシステムを求めるお客様にとって、変化を吸収しながら成果を出しつづけるシステムライフソリューションパートナーが重要です。
タイムインターメディアはシステムを介してユーザーの思いやりを見続けられる、そんな、ライフソリューションを目指します。
(株)タイムインターメディア
代表取締役社長 佐藤 孝幸