1980 年頃、確実に儲かるであろうけれど急がしい仕事と、難しいかも知れないけれど時間的なゆとりや自由がある仕事があり、どちらをやるかと聞かれたとき、迷うことなく時間が自由になる仕事を選んだ。のこのこ行ってみたら、場所は安田講堂の近所の老朽化したビルであった。要するに東大出向である。
学会関連の研究開発の支援であり、アイデアを詳細化し、延々とプログラムを書く作業である。内容を理解し作り方も分かったが、動作チェックがとても面倒な部分から開発を開始しなければならなかったが、すべての基礎になる重要な部分である。いつになったら成果が出るかはっきりしない、とても気の長い研究開発であった。でも、当時研究者のあこがれと言われていたスーパーミニコン VAX -11 での仕事だったのは嬉しかった。使っているだけで自慢になるようなコンピュータだった。
ある日、仕事仲間が PC – 1500 というポケットコンピュータを私に見せてくれた。なかなか面白そうだ、何かプログラムを作ってみようというのが普通の発想だが、どうもこういう時に、そういう風に考えられない。中身がどうなっているのかが気になって、内部を解析するためのプログラムを作って、内蔵プログラムの内容を 16 進数 ( 0 と 1 ) で全部印刷することにした。
こういうプログラムの開発は、なぜか仕事のプログラムと違って、大いに熱が入ってしまい、即座に作り、延々と印刷させた。印刷速度が非常に遅くて、待ってられないので、その間に仕事のプログラム作りにも精を出した。企業への出向と違い、大学ではこういうこともかなり自由にできた。
印刷は内部を探るための準備である。印刷が終わってから、何の資料もないまま、搭載されている CPU の命令を全部探し出すという、暗号解析みたいなことを行うための参考情報として、内部の情報を延々と印刷した。数字を何日か眺めていると次第に命令の意味が分かるのは、発見の喜びであった。しかし、仕事の合間に解読ではなかなか進まない。解読には少なくとも数百時間はかかりそうで時間が不足した。
そこで、自分達で解析するのではなく、日本中のマイコン解析マニアを引っ張り込めば、延々と時間を使って解読を楽しんでくれるだろうという策略を立て、解析方法をまとめて雑誌で発表した。
しばらく待っていると、編集部から連絡があり、だいたい解析を終え、解析結果を元に、非常に高速な自作デモプログラムを作成した学生 2 人組出現の連絡が入った。策略大成功である。これを少しまとめて、メーカーにデモである。ポケットコンピュータは、所詮簡単な計算に使う程度と思い込んでいたメーカーには、アクションゲームが動くほど高速なプログラムをアマチュアが作るとは予想外だったようだ。
これがきっかけとなり、細かい仕様は出さない方針だったメーカーが、どんどん情報を出すように方針を変更した。さらに、ポケコン関連の本がシリーズで多数出るきっかけにもなった。もちろん、その 2 人は、学生アルバイトとして即刻採用し、大いに活躍してくれた。大学の研究室および関係者とも、それ以来延々と付き合いが続いていて、様々な情報交換や人材発掘にとても役立っているが、これらすべては遊び心によるちょっとした暴走がきっかけである。