電脳春秋 – 〈第 7 回〉 業界歴 25 年でも渡る世間は 2 ホップ


電脳春秋

執筆:H.F

〈第 7 回〉 業界歴 25 年でも渡る世間は 2 ホップ

業界団体の集まりなどへの出席は好きではないが、コンピュータ業界に長居をしているので、しばしば呼び出される。断れるものはできるだけ断っているが、それでもある程度は出席している。そういう席では名刺交換するが、次から次へと名刺を配りまくる参加者を見かけると、まるで駅前でティッシュを配っているみたいだ。そういう名刺は、もらってもボツ箱に入れておしまいである。

コンピュータ業界に入ったら、プログラムがいかに上手に組めるかが問題と最初の頃は思っていたが、実際は技術的なことよりも、人間的コミュニケーション能力の方が重要というのをつくづく感じている。

趣味でマイコン利用と思っていたのが、いつのまにか仕事になり、もうそれから約 25 年、四半世紀という長い年月が経過した。マイコン業界がパソコン業界になり、一部はゲーム業界に枝分かれした。パソコンだけの世界にはとても満足できなかったので、 Unix の世界に足を踏み入れ、いつのまにか今のインターネットに繋がる世界にも触れてしまった。

この間に、会社や仕事に変化はあったが、結局同様の業界の中をフラフラしてきた。コンピュータ業界といっても、きっちり仕事をします、ビジネスをやりますという感じのところもあるが、技術優先の世界を選んできた。そのため、スーツやネクタイよりジーンズや T シャツの世界になじみ、日本での多数派コンピュータ技術者が歩む道とはかなり違う世界を経験してきたと思う。

一番の違いは、コンピュータ出版を含め、出版系の人との出会いが多いことである。同じコンピュータでも、その辺りから始めた方が仕事が面白そうというので最初の仕事場を決めた。出版系では、作業量と成果が思いっきり違う。本 1 冊作る費用はだいたい固定であるが、どれだけ売れるかは本によって全く違う。ちょっと印刷しても売れずにゴミとして処分される本もあれば、社会的に強いインパクトを与える本もある。とにもかくにも成果主義の世界であり、大変分かりやすい。

技術への挑戦ということで、当時の技術的常識では無理と思われるものを何とか作っては大学などで見せていたので、アカデミズムの世界にも知り合いが広がった。大学の研究室と付き合っていると、 OB が他の大学の先生になるケースも多く、次第にあちこちの大学に知り合いができた。

インターネットで個人ホームページを立ち上げてからは、急に関係者の種類が増えた。個人ホームページということで、さまざまな実験をやったが、記述に関する問い合わせの返事をしているうちに、国会議員をはじめ、本当に多種多様な人と知り合えた。東京でなければ遭遇できない会合でおもしろそうなら、何事も経験と思って出席すると、意外な発見があり、ビジネスにつながることがある。また、東京にいながら出身地の異世代、異業種の人々と知り合えたことも大きい。

仕事上で色々な人に会うが、まったく知らない人と思って調べてみると、実は共通の知り合いがいることが極めて多い。知り合いを 1 つたどる毎に 1 ホップと数えると、まったく偶然に出会った人でも、知り合いの知り合いだったことがほとんどだ。つまり、渡る世間は 2 ホップという気がしてならない。世間はとにかく狭い。