電脳春秋 – 〈第 14 回〉 製品前バージョンは修理しながら操作


電脳春秋

執筆:H.F

〈第 14 回〉 製品前バージョンは修理しながら操作

メーカー製のパソコンを購入すれば、段ボール箱から取り出し、適当にケーブルをつなぎ、電源を入れさえすればパソコンは動きだす。最近のものは勝手にインターネットの設定までしてくれるのが珍しくない。もし動かなければ、購入した店に電話を入れて、新品に取り替えてもらうのが普通であろう。

ずいぶん前になるが、パソコン関係のマニュアルを多数書いていた時期があった。そういうとき、メーカーから試作品が持ち込まれ、あちこちに修正が手書きで書き込まれたまとまりのない説明書らしきものを渡され、動作確認しながらマニュアルを作ったものである。マニュアルを作るのだから、もちろんマニュアル片手に操作などありえなくて、渡されたメモを元に、自分で適当に考えて補足しながらマニュアルを書いていくのである。マニュアルを作るための内容確認用のパソコンは試作品なので動作保証などない。正常に動かないことが保証されているだけだった。

売られる製品のパンフレットがかなり早い時期に刷り上がってしまうことがある。まだ動いているはずがないのにあたかも動いているように見せるため、画面はハメコミになっていることも多かった。パンフレットとは大いに違い、自分の目の前で机いっぱいに広がっている試作品を見ると、実際にこんなにコンパクトに収まるのかと不安になった。電子部品がたくさん装着している A4 サイズ位の板が、製品になったときにはキャラメル大の集積回路 1 つになると言われ、理屈では分かっているものの、最初のうちは本当にできるのかなと思ったが、当時でも日本の集積技術は相当のものらしく、そういう点での失敗には一度も遭遇しなかった。

不安定な試作品のご機嫌を取りながらマニュアル書きをしていると、どうしても試作品が動かなくなり、自分達ではどうにもならなくなることがしばしばあった。メーカーの担当に電話をして症状を伝え、簡単な場合には直し方を伝授してもらい何とかしたものだが、開発がもう少し進んだということで、次の試作品と交換になることも多かった。しかし、動作が微妙に変って、再確認の作業が発生するのであった。

あるメーカーが初めて液晶を開発し、大胆にもそれをパソコンに組み込んできた。それが、動作確認しながらマニュアルを書いていると、どんどん液晶が見えなくなってくる。点がどんどん潰れて反応しなくなっていくのである。まさに、どんどん死んでいくという悲惨な状況で、これではさすがに作業ができなかった。メーカーに電話すると、「まだ試作品なのでそんなものですが、大丈夫ですよ」と当然のように言われてしまった。やむなく、ときどき液晶を取り替えながらマニュアルを書き続けた。製品になるまでの数ヵ月の間に、液晶製造技術も向上したのか、製品として完成し、販売されてしまった。

こういう作業が多かったので、最初から安定して動く今のパソコンを見ると、何と楽なになったことかと思ってしまう。文章を書いているのに、ドライバーはもちろん、半田ごても当時は必需品だった。