電脳春秋 – 〈第 20 回〉 人は育てるべきか、育つのを待つべきか


電脳春秋

執筆:H.F

〈第 20 回〉 人は育てるべきか、育つのを待つべきか

色々なプログラマを見てきた。何年もやっていると本人は言うのに、キーボードもろく叩けない有様でプログラムを作ったことがないと思える人から、 OS やウィンドウシステムを作ったり、極めてコンピュータに詳しくないとできないことをやった人まで遭遇してきた。それらを通じて一番感じるのは、プログラマのレベル差がどうしてこんなにあるのかということである。

プログラマは、人によってどのくらいの能力差があるのかよく聞かれる。 2 倍、 3 倍くらいを予想しての質問のようだが、実際には 10 倍、 100 倍でも甘い評価だと思う。無限倍よりも差は激しいと思う。つまり、あるプログラマには是非手伝って欲しいと思うが、別のプログラマには、お願いだから近寄らないでくれと思うくらい差がある。要するに、正と負なのである。

ところで、能力差とは別に、傾向の違いがある。コンピュータそのものに興味を持つ人、コンピュータを何かに利用しようと思う人がいる。コンピュータを仕事としてやるだけで、とくにそれ以上の興味が無い人がいる反面、仕事もコンピュータ、休日もずっとコンピュータという人もいる。傾向に関しては、色々な人がいた方が社会にとっても、会社にとっても良いと思う。日本社会は方向性を無理矢理合せて来たけれど、知識、経験だけではなくアイデアを求められる今日では、多様性が必要になってきた。

家庭から、企業、社会まで、あらゆるところで一番重要なのは人であり、教育は何より重要な課題である。人がうまく育てば、結局はうまくいく。企業としては、優秀な技術者を多数抱えていることは大変な戦力になる。しかし、もちろん間単には実現できない。

大手企業では、何か月もかけてプログラム教育と社員教育を行っていたが、最近はかなり変化してきたようだ。終身雇用性の崩壊と、コンピュータやインターネットが非常に速いテンポで変っていくので、時間をかけて人を育てていくのが実状に合わなくなってきたためであろうか。

中小ベンチャー系では、とてもじっくりと人を育てる余裕はないし、まして教えてくださいタイプの人が勤まる世界ではない。私自身は、ずっとベンチャー系の世界にいたので、確かに技術的には先端的なことが多かったが、小さく尖っているだけで、なんの保証もなく、実態はどこも会社全体がアドベンチャー系である。パソコンもインターネットも無いときに、どうやったらそういうことができるか考えて実現してしまう側にいたので、本は読むものではなく、何かを紹介するために書くもの、わからなければ何とかして調べ尽くすものだった。

今ではパソコンやインターネットが重要になり、この業界で働く人が増えてきた。昔は、勝手に勉強できる人が中心の業界だったが、これからの業界はどうなっていくのであろうか。手取り足取り、適当な本を紹介し、頻繁に指導するのが良いのだろか。あるいは、せいぜい適当な情報源だけを教えて、あとは勝手に勉強しているのをときどき覗く程度が良いのだろうか。

ちなみに、私自身はコンピュータ関係の授業を一度も受けたことがない。できることなら、一度、コンピュータのことは何も知らないフリをして受講し、どのような教育が世間では行われているのか体験したいと思っているが、いまだ実現していない。