1970 年代、まだコンピュータを使っていなかったのだが、カメラ会社の研究所に勤める友人から、NEC から出た TK-80 というマイクロコンピュータのトレーニングキットが面白いからという話を聞いた。いずれコンピュータで遊んでみようとは思っていたので、早速購入し、組み立てて動かしてみた。当時は、組み立てキットで売られていることが多く、部品を半田づけしなければならなかった。
8080 という 8 ビット CPU が使われている板 1 枚だけのコンピュータである。今のようにタイプライター式のキーボードではなく、押しボタンが縦横 5 つずつマス目状に並んでいて、全部で 25 個あるだけであった。直接コンピュータが理解できるマシン語、要するに 0 と 1 と同じことなのだが、それをメモリに書き込んだり、読み込んだり、実行したりするだけの極めて簡単なものであった。
マニュアル通りに動くことは分かっても、それだけではつまらないので、本を入手し色々試してみた。しかし、日本語の本や雑誌はそれほど詳しくなく、なおかつ誤りが多かったので、英語の本を何とか読みながら試していった。
しばらくすると拡張ボードが売り出され、普通のキーボードも接続でき、表示にテレビが利用可能になり、簡単な BASCI も動くようになった。暇さえあればプログラムを組み、何時間も、何日もかかるような計算をやらせていた。
BASIC がどういう仕掛けで動いているのかも知りたくなり、インタープリタやコンパイラの本を片っ端から入手した。東大版 BASIC インタープリタの本の説明が丁寧だったので、それを TK-80 上で動くように移植した。
しかし、インタープリタはとても遅い。今もそうだが、時間のかかる面倒な計算をやらせるのが趣味だったので、なんとか簡単に実行速度を上げられないものかと思い、移植した BASIC インタープリタを元に、BASIC コンパイラをでっちあげてしまった。
コンパイラとインタープリタでは実行速度が数十倍は違う。できあがったコンパイラで色々な BASIC プログラムをコンパイルし、実行してみてはさらなる高速化のための改良を続けていた。
そろそろ発表でもしてみようかとマイコン関係の雑誌社(当時は 2 社しかなかった) に連絡をとり、すぐに連絡のあった 1 社にはカセットテープに録音したプログラムを送り、その後編集部を訪ねた。どんなに長くなって良いから原稿を書いて欲しいということで、正月休みに延々と記事を書いた。当時はワープロもなく、編集部から送られてきた原稿用紙に書くという、今では考えられないような作業である。コンパイラ以外にも何点かのプログラムがあり、それらの原稿も一緒に送ったら、雑誌の別冊として出版されてしまった。
結局、その雑誌社グループに入社するという形で、コンピュータ業界に入り、今日に至っている。ちょっと作ったコンパイラの記事を書いただけなのに、それが一生の仕事になってしまったようだ。
不思議なもので、最近 TK-80 設計者と秋葉原で会うことが時々あり、一緒に飲んだりしている。当時異端と言われたマイコンに手を出した人々は、今も現状に満足せず、新しいこと、めずらしいことを探し求めているようだ。