電脳春秋 – 〈第 18 回〉 ホームページのアクセスが増えて困った


電脳春秋

執筆:H.F

〈第 18 回〉 ホームページのアクセスが増えて困った

インターネットと言えばホームページのことだと思う人が少なくない。そのくらいホームページは普及し、ビジネスから個人の趣味にまで利用されているが、 1990 年代半ばまでは、インターネットとか、ホームページというと「また変なことをしている」と色眼鏡で見られたものだ。

1995年 3 月末までは、日本ではインターネットは学術研究的なものであり、インターネット上でビジネスを行うには厳しい制約があった。それが、 4 月 1 日より、日本でもインターネットをビジネスに積極的に使えるように制度が一気に変った。というか、関係者で変えることにしたわけである。

ビジネス利用が解禁されるのに合わせて、インターネットに関する様々な実験をしてみようと思い、何でも実験できる個人ホームページ作ることにした。歴史的記念日になる 4 月 1 日に立ち上げる予定だったが、さまざまな都合で結局 8 月末になった。

当時は、プロバイダが専用線 1 本を引くにもずいぶん手間がかかった。電話局への申し込みさえ、窓口担当者がインターネットのことを知らないので、一々教えなければ回線を引いてもらえない時代だった。そういう訳で、関係者が始めたプロバイダの立ち上げが遅れた。どこか他のプロバイダで始めることも可能ではあったが、実験という意味では、何でもできる仲間のところが明らかに良いので、少々遅れるのは我慢した。

最初は、たった 1 ページしかない、それも文字しかない簡単なページを作り、関係者にメールで連絡して、アクセスしてもらった。見せるのが目的と言うより、アクセスするとどういう情報が取得できるかなどの調査のため、さまざまなことが記録できるようにしていた。その後、 Java の実験を始めたり、様々なコンテンツを置いて、人は何をどのように見ていくのかというインターネット上での人間行動学的な観察の方が面白くなった。

1 年近く経過し、数百ページを越えるようになってくると、アクセスしてくる人も増え、プロバイダの回線が耐えられず、数時間の通信不能が何回か発生した。自分で他のホームページを見ることもできないし、メールさえも使えなくなった。自分だけでなく、私の利用プロバイダに繋がっている企業も業務が停止してしまい、大変迷惑をかけてしまった。

そういうことが何度もあったので、ホームページには、 「見に来てください」ではなく、 「見に来ないでください」と書いたこともある。しかし、見るなというと、人々はさらに興味を持つようであった。

あまりに大量のデータが流れるので、別のブロバイダに引っ越そうかと思って連絡をしても、すでに相手はこちらを知っているようで、アクセスが多いホームページはダメですと言われたものだ。結局、最後は KDD 新宿ビルの中に置いてもらい、アクセスの多さに困ることはなくなった。

時は流れ、今ではインターネット回線の低価格競争が激化し、おかげで通信料金に関しての心配は不要になった。ホームページの入ってたサーバーも KDDI ビルから、普通のビルに引っ越した。 5 年前くらいまで、アクセスの多さであれこれ苦労したのが嘘のようだ。