私がコンピュータの世界に足を踏み入れた頃は、数字とアルファベットの大文字とわずかの記号が使えるだけだった。コンピュータは事務処理や技術計算に使われていたが、利用のほとんどは数値計算に限られていた。一部の事務処理用コンピュータでカタカナが使えた程度で、プログラムのコメントは、怪しい英語か、とても読み難いローマ字が一般的だった。人名、住所、その他様々なコンピュータ処理に漢字を使いたいところであったが、ほとんど夢であった。
それが、 1980 年ころからワープロが大企業ならやっと購入できる価格になったが、まだ高嶺の花だった。同じ頃、パソコンでも何とか漢字が表示可能になり、多数の企業がパソコンの日本語文書処理ソフトを作って儲けようとした。パソコンといえばゲームと言われた時代から、ビジネス利用への転換期である。そして、様々なワープロ専用機が出現し、そして消滅した。
最初の頃は、パソコンで漢字を表示させるためには、数万円もする漢字 ROM の装着が必要であったが、そのうち漢字 ROM が標準装備になった。そして、コンピュータの性能が向上し、漢字のデータはハードディスクから読み込むようになり、漢字 ROM は消え、ユーザはさまざまなフォントを使えるようになった。
パソコンは比較的早い時期から漢字が使えたが、私が普段使っていた Unix では、なかなか漢字が使えなかった。コメントを英語で書く派閥とローマ字で書く派閥があった。ローマ字はとても読み難く、英語は私のように英語力の無い人には重い負担になっていた。
なんとかならないものかと思っていたころ、偶然にも自分のいた会社で、 Unix 向けの日本語表示ができるウィンドウシステムと仮名漢字変換システムを開発することになっていた。私は全く別のプロジェクトに加わっていたので、直接開発にタッチした訳ではないが、出来上がった仮名漢字変換システム ( Wnn , うんぬ ) や、日本語対応ウィンドウシステムを使い始めた。日本語が普通に使えることで、作業はずいぶん楽になった。
1990 年頃、 Unix 上での仮名漢字変換をもっと賢くしたくなった。原稿を書いたりするのに変換ミスがかなり高く、改善できれば思考が中断されることが減少し、効率が相当高まると思われたからである。それで、当時出始めていた国語辞典の CD – ROM を入手しては、仮名漢字変換辞書を作り直すのを繰り返した。
結構賢くなるのがわかったところで、 Unix にも造詣が深く、辞典も多数出している出版社に連絡をした。元々の知り合いが理工学書の責任者をやっていたこともあり、辞書部の人を紹介してもらったり、さまざまなことを経て、結局商品化された。
こういう作業を通じて、古典、経典などもかじる羽目になり、全 15 巻からなる 『 大漢和辞典 』 の最多画数の漢字は、龍が縦横に 2 つずつの計 4 つで 64 画などという何の役にも立たない事まで知ることになり、ちょっと仮名漢字変換を賢くしたかっただけなのに、文字に期せずして詳しくなってしまった。