電脳春秋 – 〈第 29 回〉  『 C プログラミング専門課程 』 をゴミ箱に捨てる


電脳春秋

執筆:H.F

〈第 29 回〉  『 C プログラミング専門課程 』 をゴミ箱に捨てる

学生の頃は、将来本を書くなど想像だにしなかった。原稿用紙 10 枚程度の作文の宿題が出ても苦悩していたので、本を書くのは大変なことだと信じていた。

しかし、プログラムを作り出版社に送りつけたら、長くて何ページになってもよいから詳しい説明を書いて欲しいと言われてしまった。操作説明だけなら 1 、 2 ページで終わるのだが、さすがにそれではマズイと思い、ついつい丁寧にあれこれ説明したら、簡単に原稿用紙 100 枚を突破した。刷り上った雑誌を見たら、いつもの雑誌ではなく、わざわざ別冊になっており、何十ページにもわたり自分の記事が載っていて、感激したのである。

このようにして出版社との関係ができ、そのままそこで働くことになった。編集部ではなく技術部門に在籍していたのだが、本や雑誌が作られていくのを眺めたり、記事を書いたり、編集部員に成りすまして記者会見に行ったり、雑誌や本の校正をし、著者や翻訳者の発掘までする羽目になった。

そんなことをやっているうちに、本を書くにはどうすればよいのかは自然に身についた。とはいえ、本を執筆するのはかなり大変な作業であることは今も変わりない。どうでも良い本、売れなくても良い本ならともかく、増刷される、つまり高い評価を得ようとすれば、読者をイメージし、どういう方針で執筆するかを明確に決め、少なくとも数百時間は頑張らねばならない。

原稿が完成しても、それだけで本になる訳ではない。多数の図やプログラムが入る場合、それらが意図したように挿入されているかのチェックも重要だ。編集作業中に思いもよらないミスが紛れこむこともあり、校正刷は丁寧に何度も見直すことになる。それでも、完璧なものはなかなかできない。

今までに何冊かのコンピュータ関連書籍を執筆したが、その中で 1 冊、校正する気が途中で完全に失せたことがある。ある程度のミスがあるのは当然だが、あまりにも修正個所が多く、とてもコンピュータ出版物のレイアウトに慣れている人の作業とは思えなかった。修正しても修正しても、期待しているレベル、販売できるレベルには永久になるとは思えず、投げ出した。

出版社に校正刷を持参し 「これはとても校正できません」と言ったら、担当者はあっさりと校正刷をゴミ箱に捨て、レイアウトをやり直すことになった。難産になった 『 C プログラミング専門課程 』 であるが、コンピュータ本には珍しく 10 年以上も売れ続け、来年には 8 刷になる。もしゴミ箱に捨てず、適度に妥協した本を出していたら、今ごろは誰からも忘れ去られた本どころか、自分でも悔やむような本になったに違いない。

同じことは本に限らず、プログラムでもよくある。できの悪いプログラムに遭遇したとき、捨ててゼロから作り直すか、何とか手直しして使い続けるかはいつも頭を悩ます問題だ。納期やコストが許されるなら、最初から作り直したいと思うが、現実は難しい。特に、一旦サービスを開始した場合、サービスは止められないので、プログラムは非常に慎重に直さなければならず、本より遥かに面倒だ。